春日山城③見どころ満載二の丸、三の丸(景虎屋敷、米蔵)

前回までは、大手道から春日山城に登り、南三の丸・景勝屋敷などを経て鐘楼(春日山城②上杉景勝屋敷、柿崎屋敷、鐘楼、御成街道へ)まで来ました(春日山城に関する記事の一覧はこちらで見れます)。

春日山城 天守付近イラスト

(画像はクリックで拡大します)

 

今回、鐘楼からは御成街道を通り二ノ丸、三の丸(景虎屋敷、米蔵跡)を目指します。春日山城は非常に楽しめましたが、その春日山城の中でも、二の丸、三の丸(景虎屋敷、米蔵跡)そして帯郭付近が一番よかったです。春日山城の見どころが満載です。

最初に位置関係を再確認です。御成街道から直接天守台・本丸へ行く道もありますが、それでは春日山城の見所を見逃してしまいます。わざわざ二の丸、三の丸と遠回りすることをおすすめします。

春日山城拡大地図

 

御成街道から二の丸へ

今回も前回同様、御成街道を歩きます(御成街道の詳細は前回の記事を)。

御成街道を二の丸へ

 

御成街道、道は細いですが御成街道からの景色が綺麗です。

春日山城 御成街道から

 

鐘楼を11時37分に出発しましたが、そこからほんの少し歩くと右下に二の丸が見えてきました。

春日山城御成街道から二の丸

 

二の丸

二の丸には11時44分につきました。

春日山城二の丸

 

二の丸の説明看板です。「本丸から毘沙門堂を経てお花畑に至る実城と呼ばれる郭群の東裾を取り巻くように作られた郭で、実城とともに春日山城の中心地区をなしている。本丸の直下にあって、本丸を帯状に囲っている様子はまさに本丸の警護として造作されたことを示すものと考えられている」と書かれています。

春日山城二の丸看板

 

こちらがその本丸・天守台方面を二の丸から眺めたものです。本丸の直下にあるのがよく分かります。

春日山城二の丸から本丸天守台を眺める

 

二の丸から下を眺めた様子です。下に見えるのは三の丸(米蔵跡、景虎屋敷跡)です。

春日山城二の丸から

 

三の丸(米蔵・景虎屋敷)

二の丸から三の丸へは下へ降りるだけなのですぐです。途中帯郭が見えました。帯郭についてはまた次回も出てきますが、結構好きです。この写真では分かりませんが、上の春日山城の縄張図にあるように段々になっています。

春日山城帯郭

 

3分ほどで三の丸(米蔵・景虎屋敷)へ着きました。手前が米蔵で億が景虎屋敷です。

春日山城米蔵景虎屋敷

 

三の丸の看板です。謙信公の養子「三郎景虎屋敷跡」、「米蔵跡」を総称して「三の丸屋敷」と呼ぶ。それぞれは段違いに作られて区分されている。と書かれています。春日山城は案内がしっかりあるので助かります。

春日山城三の丸(米蔵景虎屋敷)看板

 

景虎屋敷です。上杉三郎宅跡と書いてありますが、この三郎景虎公は小田原の北条氏康の七男であり上杉氏と北条氏の同盟締結の際に謙信公の養子となった武将です。謙信公が自らの名を与えるなど破格の待遇を受けていたが、謙信公の死後跡目を争った「御館の乱」で敗れ悲運の死を遂げた。と上の看板に書いてあります。

春日山城景虎屋敷跡

 

別の位置からの景虎屋敷。なお上杉景虎が「御館の乱」で跡目を争った相手が上杉景勝です。その上杉景勝の屋敷跡は前回の記事をどうぞ。

春日山城景虎屋敷

 

米蔵跡です。米蔵については「米蔵跡の名が示すように、城機能の中核施設が置かれた場所として考えられており、春日山城跡で最も良好な状態で残っている土塁はこの三の丸の防御の役割を果たしていた。当時はこのような土塁が各郭に築かれ、春日山城の守備を一層今日後にしていたと想像される」と看板に書いてありました。

春日山城米蔵

 

その土塁です。結構な大きさです。

春日山城米蔵跡と土塁

 

次回の春日山城跡めぐり

以上で三の丸(米蔵・景虎屋敷)は終了です。個人的には見どころが満載でした。このあとは三の丸からいったん階段で下に行きます。そして急な登り階段を再び登って帯郭を見ます。次へつづく。

春日山城三の丸から下へ

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