川中島の戦いの舞台 川中島古戦場へ(八幡原史跡公園)

黄金色の源泉かけ流し100%の松代温泉、国民宿舎松代荘から、武田信玄と上杉謙信で有名な川中島の戦いのうち最も激しい戦いの第4次川中島の合戦の場所(川中島古戦場(八幡原史跡公園))へ、松代観光の最後に来ました。

川中島の戦い 上杉謙信武田信玄銅像

(画像はすべてクリックすると拡大します)

 

第4次川中島の戦いの場所とアクセス

川中島古戦場(八幡原史跡公園)は、武田信玄と上杉謙信が戦った有名な川中島の戦いの中でも最も激しかったとされる第4次の戦いの主戦場となった場所ですが・・・、実は川中島古戦場へのアクセスは松代からすぐそばです。車だったら10分くらいです。松代城跡からほぼ真北でしょうか。

その川中島古戦場(八幡原史跡公園)は、見る所はさほどありません。自分の観光の所要時間は15分でした。でも歴史が好きなら一度は行ってみたいところです。

川中島古戦場八幡社
〒381-2212 長野県長野市小島田町 川中島古戦場八幡社

 

川中島古戦場の地図です(川中島古戦場周辺マップという2009年にもらったパンフレットから)。大きな駐車場もあるし、バス停もすぐそばなので便利です。

川中島古戦場マップ

 

川中島古戦場(八幡原史跡公園)へ

上の地図の駐車場から土産物店を抜けて入口です。

八幡原史跡公園

 

横には第4次川中島の戦いの布陣の鳥瞰図がありました。現在地が左下です。左上には海津城(松代城)があります(海津城(松代城跡)の観光の様子は)。

川中島合戦布陣 鳥瞰図

 

川中島古戦場(八幡原史跡公園)の最大の見どころ

川中島古戦場(八幡原史跡公園)の最大の見どころが上杉謙信と武田信玄の戦いの銅像です。

八幡原本陣を再現しているところです。永禄4年の第4次川中島の戦いで、武田信玄の本陣に突っ込んだ上杉謙信が、武田信玄に向かって切り付け、それを武田信玄が軍配で受け止めたという伝説のシーンです。

川中島の戦い 上杉謙信武田信玄銅像

 

逆から。

川中島の戦い 上杉謙信と武田信玄 逆から

 

川中島古戦場(八幡原史跡公園)その他の見どころ

首塚

首塚です。永禄4年の川中島の戦いの後、武田の海津城主高坂弾正しいがこのあたり一帯の戦死者6千あまりの遺体を敵味方の区別なく集め、葬った塚です。

川中島古戦場 首塚

 

執念の石

武田信玄のもとへ突っ込んできた上杉謙信に対し、武田信玄の助けに入った原大隅が逆に上杉謙信を討とうとしました。残念ながら逃げられてしまい、原大隅は悔しさのあまり、この石を槍で突き通したそうです。

川中島古戦場 執念の石

 

逆槐(さかさえんじゅ)

武田信玄がこの地に陣地を構え土塁を作った際、その地固めに逆さに槐を挿しました。それが成長し大きくなりました。

川中島古戦場 逆槐

 

土塁はこんな感じでたくさんあります。

川中島古戦場 土塁

 

 

三太刀七太刀の跡の碑

上杉謙信と武田信玄の一騎討ちの場所に碑があります。上杉謙信が三度斬りつけ、それを受けた武田信玄の軍配には七つの傷が残っていたと言われています。

川中島古戦場 三太刀七太刀の跡の碑

 

旧八幡社

川中島合戦で破壊された八幡社の神殿を武田信玄が高坂弾正に命じて再建させました。その後は松代藩の真田家が明治維新まで管理運営していたとのことです。

八幡原史跡公園(旧八幡社)

 

こちらが現在の八幡社です。右に少し写っているのが旧八幡社の建物です。

川中島古戦場 八幡社と旧八幡社

 

長野市立博物館の横の池

綺麗でした。

八幡原史跡公園 池

 

川中島古戦場(八幡原史跡公園)の感想

川中島古戦場(八幡原史跡公園)はあまり見る所はありません。ただ川中島の戦いの舞台となった場所に来たという満足感はあります。

松代の観光はこれですべて終了です。最後に土産を買いました。買った土産に続きます。

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