真田幸村の名言

真田幸村と言えばその最大のハイライトはやはり大坂冬の陣、大坂夏の陣での活躍です。そのせいもあってか真田幸村の名言と言うとなんとなく悲哀を感じてしまいます。「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし」などですね。

好きな名言はいくつかあるのですがここでは二つほど紹介したいと思います。

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「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」

「この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され、武士としての面目を立てて頂いた身、このご恩、土地や金子などに、到底、変えられない。」

ちょっとご紹介します。

 

関東勢百万と候え、男は一人もなく候

大坂夏の陣、道明寺の戦いでの言葉です。豊臣方はこの道明寺の戦いで後藤基次を失うなど手痛い敗戦を喫します。大坂城より退却命令が出された際、真田幸村隊がしんがりをつとめますが、追撃する徳川軍の伊達政宗などは追撃をしませんでした。

その撤退時、真田幸村が発したとされるのが
「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」
という言葉です。

意訳すれば、「徳川軍は100万人もいるのに、まともな男(武士)は1人もいないのだな」といった感じでしょうか。
かっこいい名言です。

 

この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され・・・

大坂冬の陣では最終的に和睦で徳川方が大坂城の堀を埋めてしまい、真田丸もなくなってしまいます。今思うと堀を埋められなければ・・・と思うのですが仕方ありません。

徳川方としては真田幸村には真田丸の戦いなどで手痛い目を合わされました。そうしたこともあったのでしょう、幸村に対して家康は真田幸村の叔父・信尹を通じて10万石の条件で寝返りを打診します。

この申し入れを断ると次は40万石になったと言われます。しかしそれも断ったと言われています。

その時の言葉が
「この幸村、ただ、命を長らえているだけの処を召し出され、武士としての面目を立てて頂いた身、このご恩、土地や金子などに、到底、変えられない。」です。

幸村としては高野山九度山で蟄居させられていた中、豊臣秀頼に助けてほしいと言われて大坂城へ入場しました。ぼけっと暮らしているところを、ある意味最後の死に場所を作ってもらえたという豊臣への恩義は非常に大きかったのでしょう。

 

一番好きな名言は

他にもいくつか真田幸村の名言はあるのですが、私が一番好きな真田幸村の名言は他にあります。その名言とは?これについては、こちらをご覧ください。

 

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