真田幸村辞世の句、最期の言葉といわれています

真田幸村の名言というのとはちょっと違うかもしれませんが、真田幸村の言葉として好きなのはこれです。一部では、真田幸村辞世の句・最期の言葉と言った形で紹介されていたりもします。

「さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」

写真は上田城へいった時買ったタオルですが、ここにも書いてあります。

真田幸村ハンドタオル

意味

言葉の意味ですが次のようになります。

運命の定まるところのないこの不安定な世の中のことですから、1日先のこともどうなるか分かりません。私たちのことなどはもうこの世にないものとお考えください。

 

この言葉の状況

大坂冬の陣における徳川家康と豊臣秀頼の講和(12月20日)後も幸村は大坂城にいました。そして大坂夏の陣の開始(4月26日開戦)直前の3月19日に真田幸村から真田家の重臣の小山田茂誠とその子、之知に宛てた書状で書いている言葉です。

「さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」

今から見れば講和は家康の策に豊臣家が嵌ってしまったとしか見えません。真田幸村も講和に対して不満を持っていて、そのうち講和が破綻するのを見越していたのかもしれません。実際1月後には大坂夏の陣が始まるわけですから現場は混とんとした状況だったのでしょう。

そうした状況下で幸村は豊臣家のために大坂城で死ぬ覚悟をしていたのだと思います。

 

最後に

この言葉ですがインターネット上で検索したりすると真田幸村の辞世の句や最後の言葉として紹介されていたりもします。辞世の句や最後の言葉と言うと物悲しいものに思ってしまいますが、実際はそうではなく、真田幸村が戦いへ挑む覚悟を示すようなものだったのかと思っています。

 

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