真田幸村の年表

真田幸村肖像画

真田幸村の生涯

1567年 永禄10年 1歳

真田昌幸の二男として真田信繁(幸村)誕生する(年数は異説あり)。
長男信之とは年子。

1585年 天正13年 19歳

上杉景勝の人質になるため上杉家へ送られる。
はじめ海津城、後に春日山城へ。

1586年 天正14年 20歳

秀吉の人質として大坂に送られる。

1590年 天正18年 24歳

小田原の役で初陣という説がある。

1592年 文禄元年 26歳

昌幸、信之が名護屋(佐賀県)に出陣。幸村もいたという説がある。

1600年 慶長5年  34歳

関ヶ原の戦いでは昌幸・幸村は西軍、信幸は東軍と双方別れることになる(犬伏の別れ)。
昌幸・幸村は2千の兵で上田城に籠城。3万8千の徳川秀忠軍を足止めする(第2次上田合戦)。結果、秀忠は関ヶ原の合戦に間に合わず。

徳川軍の半分の兵をもつ秀忠が間に合わなかったにも関わらず、関ヶ原の戦いでは西軍が敗北。
そして昌幸・幸村は九度山に配流される。

一方、東軍の信之は昌幸の上田を与えられ9万5000石の大名になる。

1611年 慶長16年 45歳

父昌幸死去。

1612年 慶長17年 46歳

出家。好白と名乗る。家来の多くは兄信之のもとへ。

1614年 慶長19年 48歳

豊臣秀頼の呼びかけに応じ九度山を脱出。息子大助とともに大坂城入城。
大阪冬の陣、真田丸で活躍。

1615年 慶長20年 49歳

大坂夏の陣、徳川家康本陣に突撃し家康を追い詰めるが、討死。

 

真田幸村についてのQ&A

真田幸村の家系図は?

真田幸村の本名は?

真田幸村の家紋六文銭(六連銭)とは?

真田幸村の子孫はどうなった?

真田幸村の名言①

真田幸村の名言②

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